歴史と向き合うということ

2015年6月16日の記事

安保法制をめぐる国会での議論が活発化し、安倍政権の進める改憲へのステップ、自衛隊の活動範囲の拡大、日米同盟強化への工程表がいよいよ現実味を帯びつつある。自衛隊の海外派遣を随時可能にする「国際平和支援法案」、自衛隊法、周辺事態法等関連法案の一括改正を目指す「平和安全法制整備法案」等相次ぐ法改正やグレーゾーンの手続き迅速化をめぐる閣議決定その他が具体的に動き出しているからである。

しかし、それでいて国会の論戦等ではなぜか本質をめぐる議論が抜け落ちており、攻める側、攻められる側双方に現実味と論理性に欠けた言葉のやり取りが多く、あまりの空虚さに辟易とさせられる場面が多い。「日本は戦争する国になる?いや、ならない!」「戦争のリスクが増す?いや、逆に抑止力が増し、平和が維持される!」「自衛隊員の生命の危険は?危険になったら撤退する!」等、もっともらしい言葉のやり取りはあるが、どこかおかしい。

日本がいまどのような状況にあって、何を目標に、どういう国家づくりをするのか、誰も語っていない。戦後70年の歴史に立脚した核心的な議論も提案も見えてこない。「重要影響事態法」に基づき自衛隊が海外で集団的自衛権を行使(米軍の後方支援)した場合、戦争に巻き込まれる危険性や自衛隊員のリスクが高まることを誰も否定できない。それにも関わらず、安倍首相は「抑止力がさらに高まり、日本が攻撃を受ける可能性は一層なくなる」と言う。

冷戦後の急速な新興経済発展と一部に見られる膨張主義的動きが戦後の世界政治経済体制を掘り崩しつつあるグローバル化の現実とテロや戦争が容易に引き起こされる今日の内外情勢を考慮に入れれば、こうした発言は「期待」ではあっても、それを保証するものでは決してない。法案を通しやすくするためのこうしたレトリックを多用する安倍首相や政府の態度は傲慢とも受け取られるが、攻める野党も正確な情報やデータを駆使してそうした「虚偽のレトリック」と論理の矛盾を突く鋭い論戦を展開しなくてはならない。また、国民もそうした議論を監視し、これに積極的に関与して行く姿勢を貫くべきである。

同時に、これを政権による単なる「虚偽のレトリック」と一蹴しないで、そうした事態を生み出している戦後70年の歴史的背景や世界経済・国際関係の構造変化の実態を見極め、日本の立ち位置を明確にする努力を倍加させなくてはならない。

今年は戦後70年を記念する節目の年。中国や韓国では「抗日戦争勝利、日本軍国主義復活反対、従軍慰安婦問題をめぐる謝罪と補償を求める」各種行事が大々的に組織されると伝えられる。他方、日本では、尖閣列島や南シナ海をめぐる中国の海洋進出や大規模な軍拡、傲慢とも受け取られかねないその外交姿勢、また、歴史問題をめぐる韓国政府の“頑なな態度”に反発し、対抗意識をむき出しにする人の数も増えている。

だが、今、私たちにとって一番必要なことは、戦争の教訓と戦後の歴史的経過をしっかりと踏まえ、長期的視点で平和・繁栄・社会進歩を目指す理念と整合性に富んだ新しい世界の政治経済秩序を構想し、それをリードし、日本の役割や立ち位置をさらに明確にし、国際社会の支持と信頼を広げていくことである。安倍首相の言う積極的平和主義が単なる日米同盟の強化に終わらず、「非核・平和、安定・繁栄、社会進歩」という、戦後の日本と日本国民が培ってきた考え方や経験、政策をさらに充実させ、世界中の人々が希求してやまない、「核のない、平和と繁栄の世界」の実現に寄与するものでなくてはならない理由がここにある。私たち日本人が歴史と向き合う真の意味もここにあろう。(唐沢 敬)